カセットテープ

古着、音楽、喫茶店、そして嵐さん。

生きている証

こんばんは。マンボウです。

 

最近、「おわり」について

考えることが多いです。

 

活動の終わり、

関係の終わり、

命の終わり、、。

 

最近、昔よりも「死」が自分にとって

かけ離れたものではないように感じる。

 

別に精神的に病んでるわけではないのですが。(笑)

 

 

小さい頃は、夜が苦手だった私。

子供部屋で1人で寝ていたのですが、

眠れないと孤独に感じて不安になり、

暗い中ベッドで泣くことがありました。

 

“今元気な家族もいつかは死んじゃうんだよな、

怖いな、ずっとみんな元気に生きてたらいいのに”

 

なんて思いながら。

 

大切な存在がいつかは消えてしまうことに恐怖を

感じていた一方で、

家族が死ぬまで「自分が生きていること」を無意識に

前提にしていたことに気づいていませんでした。

 

 

それから年齢を重ねて、

「死」を身近に感じるようになったのは、

きっと東日本大震災が起きた時から。

 

被災地域に住んでいた私は、

幸い家族は無事だったものの、

知人・友人の大切な人の命が奪われ、

ふるさとがたった一瞬で何もない更地になる

という状況を目の当たりにしました。

 

「いつか死ぬ」の「いつか」は

必ずしも何十年も先のことではなく、

明日かもしれないこと。

 

「おじいちゃんおばあちゃんになるまで人生を全うする」

ということが当たり前ではないということ。

 

明日死ぬのが、家族、大切な人、そして自分かもしれないこと。

 

大学で防災や医療・福祉の勉強をする中で、

よりこれらの思いを強く意識するようになりました。

 

 

後悔しないように1日1日を大事に生きたり、

感謝の気持ちを然るべきタイミングで然るべき相手に

きちんと伝えたりすることができればいいのでしょうが、

怠け者の私はなかなか実践できません。

 

1日を大事にして100%の力を出し切るなんて到底無理。

なんとか手を抜きながらその日を乗り切ることで精一杯(^^;)笑

 

感謝なんてなかなか伝えられる機会もないし、

天邪鬼で思っていることと逆のことを喋ってしまうことも多々。

 

 

そんな中でも、私が心がけていることがあります。

それは、

「明日死んでも恥ずかしくないように過ごすこと」。

 

後悔しないように過ごす、っていうのはちょっとハードル高いので、「恥ずかしくないように過ごす」。

「お手本になるような」みたいな美しい意味じゃなくて、自分が恥をかかないようにっていう単純な。

 

例えば、部屋を綺麗にする、とか。

インターネットの検索履歴をこまめに消す、とか。(笑)

愚痴は漏らしても、誰かを傷つける言葉は言わない、とか。

 

自分が急に病気で死んだり殺されたりした時に、

誰かに家に入られた時に、

見られたくない人間性を見られるのが嫌だから。(笑)

死んだ後の印象が「あの人悪口ばっかり言ってたな」って

思われるのが嫌だから。(笑)

 

馬鹿馬鹿しいって思われるかもしれないけど、

部屋を片付けたり、悪口を言わなかったりするだけで

意外とストレスってたまらなくて、

毎日生きやすかったりするんです。

 

皆さんもよかったらぜひ。(笑)

 

 

そしてもう一つだけ毎日取り組んでいるのが

「日記」を書くこと。

これは今年になってから始めました。

 

死んだ後誰かに見られたらちょっと恥ずかしいから、

さっきの話題と矛盾してるかもしれないけど、

書くようになったきっかけは、死を身近に感じるようになって

自分も何か「生きている証」を残したいと思うようになったから。

 

本とか絵とか歌とか研究とか、後世に残るものを

証にできたら一番いいのだろうけど

一般人には難しいわけで。

そこで始めたのが日記。

 

どんなちっぽけな1日にも感情や行動があって、

あとで読み返すと「自分ってちゃんと生きてたんだな」って

すごく感じるんです。

なんでもっと前から始めてなかったんだろう、って思う。

 

そういえば大野くんも昔から日記書いてたよな…。

15周年の時に5人で過去を振り返る時、

すごく役立ってたし、15年のすごさを伝えるコンテンツに深みを与えてた。

 

 

 

私の応援する嵐さんは、

音楽、映像を通して

嵐さんの生きている証を我々に提供してくれる。

 

そしてライブという空間を通して、

生きている瞬間を私たちと共有してくれる。

 

すごいことだと思う。

簡素な言葉でしか表せないけど、

同じ時代を生きることができている私は本当に幸せ。

 

 

でも、やっぱりそれは限りがあるもので。

必ず「おわり」はやってくる。

 

考えられないし、考えたくもないけど、必ずやってくる。

そのいつかは数十年後かもしれないし、明日かもしれない。

 

それをきっと嵐さんはちゃんとわかっている。

そしてこの数年、それをすごく意識している。

 

その上で、「当たり前の嵐の姿」を

全力で見せてくれているんだ。

 

 

だからこれからも私は、

嵐さんが残してくれる生きている証を

大事に大事に受け入れながら、

 

1人の人間としても、

嵐の1ファンとしても、

「恥ずかしくないように」生きたいなって

 

そう思うんです。

 

なんか結局今日も最後は

嵐さんが好きだって話で終わってしまったな。(笑)

 

 

 

よし、じゃあ日記書いて寝ますか☺︎

 

では、また◎

 

 

 

 

 

☺︎