待機画面と終了画面
(マンボウです)
(自分のためにゆるゆる吐き出したものなので文体がいつもと異なります、すみません)
……1月を生きている、
まだ12月31日が昨日のことのようだと笑う嵐ファンの友人にも、「たった十数日が何年ものように長く感じた」と話すTwitterの皆さんの声にも大きく頷きながら
普通に働いて、普通に笑って、
普通に眠りについて、
なんとか1月を生きている。
太ったのか痩せたのかよくわからない、
ちょっと萎れた今の自分の顔は好きじゃなくて、あまり見たくない。
心は追いついていなくても
目は、体は確実に、
好きだった人たちが目の前に現れない世界を実感している。
約2年前。小さいノートに書いていた日記をやめた。
カウントダウンを実感するのが怖かった。
でも何より、休止に向けて日々自分の気持ちに整理がついていくこと、それが形になっていくことが怖かった。
休止前最終日の日記に「今までありがとう嵐!忘れない!嵐との日々を胸に、頑張るよ!」なんて晴れ晴れと書いている未来があるかもしれないと想像するだけで、恐ろしくなった。
それからほぼ毎日Twitterの世界に息をひそめて、愛と優しさに溢れた嵐ファンの人たちの呟きに癒されながら、嵐からもらった幸せだけに目を向けるようにした。
嵐はどんどん進化して、どんどん強くなっていったけど、私はまだまだ弱いままだった。
2020年12月31日。
2021年1月8日。9日。10日。
日常生活で使っているインスタグラムのストーリーに、似たような構図の写真がいくつも並ぶ。
【配信開始まで今しばらくお待ちください】。
This is 嵐ライブの待機画面だった。
パソコンやテレビの画面、スマホのスクリーンショットがいくつも並んでいた。
ええ、こんな人まで。昔のクラスメイトや、研究室の元同期、知り合いのお姉さんもいた。
食べ物や飲み物を添えて、「実家帰れないし初めて嵐のライブ見る〜最後って思うと寂しいね」などコメントが貼り付けられていた。
嬉しいのに、胸が締め付けられた。
最後にお金を払って嵐を見たいと思うほど、多くの人の生活に嵐が根付いていたのだと実感した一方で「嵐が身を削る思いで迎えたこの日を年末の軽い"イベント"にするな」と言ってやりたかった。
嵐は最後の日を、一般の人も巻き込んだ楽しいお祭りにしたかったのだから狙い通りであり、本来は喜ぶべきことなのに。
普段は表には出していなかっただけで、前から熱烈なファンだった人も中にはきっといただろう。
だから自分の感情の黒い部分に気づきそうになったけれど、気づかないふりをした。
ずっと仲がいい嵐ファンの友人が載せたものは、コメントのないただの写真だった。
生配信、リピート配信が終わった後、インスタのストーリーには【ご視聴ありがとうございました】の画面が並ぶ。
「感動した!!ありがとう!!」「中学生の頃の青春でした」「こうやって時代がまた一つ終わっていくんだな」
絵文字がついたキラキラしたコメントに、また泣きそうになる。嬉し涙といったら、嘘になる。
嵐が「青春や時代を表すコンテンツ」として消費されるのがなんだか悔しくて、そんな風に感じてしまう自分が悲しくて、泣きそうになった。
心の中の黒い部分に、気づいてしまった。
そんな時、あるストーリーが目に止まった。
みんなと同じような【ご視聴ありがとうございました】の画面に重ねられたのは、とても大きな文字だった。
「このレベルまで行ったから活動休止なんだよな 俺は活動休止なんかしちゃいけねえよな こっからデビューすんだもんな」
載せた主は、そんなに仲良くない大学の同級生の男の子だった。
自分と一緒で、今年の春から社会人として新たな生活が始まる。
そんな人が、「嵐が与えてくれたものを糧にして未来を生きていく」という旨のコメントを、こんなにも潔く、かっこよく言ってのけちゃったもんだから、驚いてしまった。
繰り返し読んでたら一周回って面白くなってしまって(ごめん)、けらけら笑ってる自分がいた。
彼が羨ましくなった。
私は晴れ晴れと未来を見据える自分が怖くなって、向き合うのを避けてきたから。
でも未来に向かって走ってくことを「休止」できるくらい何かを成し遂げたかと言われれば、自分は全然、何もできていない。
だって私も、今年からデビューするんだもん。走らなきゃ。私も。
走って、もがいて、楽しんだ先に、きっと大好きな人達と再会する未来も見えてくる。
ありがとう、同級生。そんなに仲良くないけど。
残りの1月も、生きていく。
日記、また始めてみようと思う。