カセットテープ

古着、音楽、喫茶店、そして嵐さん。

待機画面と終了画面

マンボウです)

(自分のためにゆるゆる吐き出したものなので文体がいつもと異なります、すみません)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……1月を生きている、

 

 

 

まだ12月31日が昨日のことのようだと笑う嵐ファンの友人にも、「たった十数日が何年ものように長く感じた」と話すTwitterの皆さんの声にも大きく頷きながら

 

普通に働いて、普通に笑って、

普通に眠りについて、

なんとか1月を生きている。

 

太ったのか痩せたのかよくわからない、

ちょっと萎れた今の自分の顔は好きじゃなくて、あまり見たくない。

 

心は追いついていなくても

目は、体は確実に、

好きだった人たちが目の前に現れない世界を実感している。

 

 

 

 

 

 

約2年前。小さいノートに書いていた日記をやめた。

カウントダウンを実感するのが怖かった。

でも何より、休止に向けて日々自分の気持ちに整理がついていくこと、それが形になっていくことが怖かった。

 

休止前最終日の日記に「今までありがとう嵐!忘れない!嵐との日々を胸に、頑張るよ!」なんて晴れ晴れと書いている未来があるかもしれないと想像するだけで、恐ろしくなった。

 

 

それからほぼ毎日Twitterの世界に息をひそめて、愛と優しさに溢れた嵐ファンの人たちの呟きに癒されながら、嵐からもらった幸せだけに目を向けるようにした。

 

嵐はどんどん進化して、どんどん強くなっていったけど、私はまだまだ弱いままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年12月31日。

2021年1月8日。9日。10日。

 

日常生活で使っているインスタグラムのストーリーに、似たような構図の写真がいくつも並ぶ。

 

【配信開始まで今しばらくお待ちください】。

 

This is 嵐ライブの待機画面だった。

パソコンやテレビの画面、スマホスクリーンショットがいくつも並んでいた。

 

ええ、こんな人まで。昔のクラスメイトや、研究室の元同期、知り合いのお姉さんもいた。

食べ物や飲み物を添えて、「実家帰れないし初めて嵐のライブ見る〜最後って思うと寂しいね」などコメントが貼り付けられていた。

 

嬉しいのに、胸が締め付けられた。

最後にお金を払って嵐を見たいと思うほど、多くの人の生活に嵐が根付いていたのだと実感した一方で「嵐が身を削る思いで迎えたこの日を年末の軽い"イベント"にするな」と言ってやりたかった。

 

嵐は最後の日を、一般の人も巻き込んだ楽しいお祭りにしたかったのだから狙い通りであり、本来は喜ぶべきことなのに。

普段は表には出していなかっただけで、前から熱烈なファンだった人も中にはきっといただろう。

 

だから自分の感情の黒い部分に気づきそうになったけれど、気づかないふりをした。

ずっと仲がいい嵐ファンの友人が載せたものは、コメントのないただの写真だった。

 

 

 

 

 

 

生配信、リピート配信が終わった後、インスタのストーリーには【ご視聴ありがとうございました】の画面が並ぶ。

 

「感動した!!ありがとう!!」「中学生の頃の青春でした」「こうやって時代がまた一つ終わっていくんだな」

 

絵文字がついたキラキラしたコメントに、また泣きそうになる。嬉し涙といったら、嘘になる。

嵐が「青春や時代を表すコンテンツ」として消費されるのがなんだか悔しくて、そんな風に感じてしまう自分が悲しくて、泣きそうになった。

心の中の黒い部分に、気づいてしまった。

 

 

 

 

 

そんな時、あるストーリーが目に止まった。

みんなと同じような【ご視聴ありがとうございました】の画面に重ねられたのは、とても大きな文字だった。

 

 

 

「このレベルまで行ったから活動休止なんだよな 俺は活動休止なんかしちゃいけねえよな  こっからデビューすんだもんな」

 

 

 

載せた主は、そんなに仲良くない大学の同級生の男の子だった。

自分と一緒で、今年の春から社会人として新たな生活が始まる。

 

そんな人が、「嵐が与えてくれたものを糧にして未来を生きていく」という旨のコメントを、こんなにも潔く、かっこよく言ってのけちゃったもんだから、驚いてしまった。

繰り返し読んでたら一周回って面白くなってしまって(ごめん)、けらけら笑ってる自分がいた。

 

 

彼が羨ましくなった。

私は晴れ晴れと未来を見据える自分が怖くなって、向き合うのを避けてきたから。

 

でも未来に向かって走ってくことを「休止」できるくらい何かを成し遂げたかと言われれば、自分は全然、何もできていない。

だって私も、今年からデビューするんだもん。走らなきゃ。私も。

 

走って、もがいて、楽しんだ先に、きっと大好きな人達と再会する未来も見えてくる。

 

 

ありがとう、同級生。そんなに仲良くないけど。

 

 

 

 

 

 

残りの1月も、生きていく。

 

日記、また始めてみようと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「守ってくれて ありがとう」の 宛先

お久しぶりです。マンボウです。

 

さっきまで 明るい気持ちだったのに

今はぼろぼろぼろぼろ泣いています。

 

 

大野さんが、好きでした。

 

 

あまり言葉にしたことがなかったかもしれないけれど。

大野さん担当でした。

 

 

でも、

 

大好きなのに、

大好きだから、

 

大好きなところを言葉にするのが、

怖かった。

 

自分の誉め言葉が、何かを助長させてしまうんじゃないか

 

不安で

怖くて

本人の「向かい風」になることだけは避けたくて。

 

その上で

自分の乏しい語彙力で表せるのは、

彼への感謝くらいだった。

 

しがない一ファンができるのは、

健康と幸せを願うことくらいだった。

 

 

大ちゃんと、呼べなかった。

智くんと、呼べなかった。

 

 

遠くから離れたところで、「大野さん」の輝く姿を見続けた。

 

 

私は、大野さんの

 

「守ってくれて、ありがとう」

 

という言葉を受け取っていい存在なのだろうか。

 

 

果たして私は、きちんと貴方を、

「ファン」として

守れていたのだろうか。

 

 

笑い方も

スイッチが入った時の背筋も

猫背も うなじも

お気に入りの帽子も Tシャツも

緊張した時 手首を触る癖も

 

全部全部、

 

大好きで。

 

 

何度も何度も

貴方のダンスに心を震わされ

貴方のラジオに救われ

貴方の歌声に生きる力をもらいました。

 

 

悲しい思いをさせないため、だとしても

 

「またね」と言ってくれて嬉しかった。

 

 

大野さんがこれからの日々

心置きなく自分の幸せに向き合えるよう

無理をしないよう

 

私は明日からもまた変わらず、

 

健康を願い 感謝の気持ちを持ち続ける日々を 送っていくのだと思います。

 

 

いつかあの挨拶の「ありがとう」を

自信を持って受け取れるように。

 

今度こそはきっと、

これらが「大野さんを守る」ことにつながると信じて。

 

 

 

書き終わって、涙がおさまりました。

今はまた、晴れやかな気持ち。

余韻に浸りながら、Voyageやまだ届いてない会報、購入したグッズや図録を楽しみに「頑張ろう」と思えてきた。

 

 

きっと何度もしぼむけど、いいよね。

日によって感情が揺れても、いいんだよね。

 

 

そうやって少しずつ、前を向いて

嵐の音楽と共に、生きていけば。

 

よし。

 

よーし!

 

 

 

 

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☺︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

動画や画像を載せることは「応援」か、「妨げ」か

 

こんにちは。

マンボウです。

 

またまたお久しぶりのブログになってしまいました。

 

普段はTwitterの方で嵐のみなさんを応援しています。

最近はTwitterもつぶやきに収まらないくらいの長文を載せてしまっています。こっちをもっと活用しろよって。はい。

 

 

最近、嵐さんの画像や動画を無断で載せる行為について、声を上げてくださっている方が増えてきたと、感じています。

 

以前は「嵐」でツイートを検索したりすると、話題のツイートで見られるのはほぼ全て嵐の動画や画像をアップしている方々の投稿でした。

 

まだこのような方々の影響力の方が大きいというのが現状ですが、確実に変化してきているなと思います。

 

ずっと昔から議論はあった、この著作権関連の話。

なぜ今変化が起こりはじめているのか。

 

最近、とある動画の中で嵐さん「本人」から言及があったのもその理由の一つだと思います。

「一緒に学んでいこう」と言ってくれましたが、その言葉の中には注意とも受け取れる言葉がありました。

今までのファンのSNSの動向もきちんと把握した上で、文字ではなく、ついに本人の口から発せられたのです。

 

しかも、「ファンの方にお金を払っていただいているものだから?」というメンバーの質問に対して、有料のコンテンツだからということではなく(こことても重要)、「嵐自身にそもそも権利があるから」ときちんと言及されていたのです。

 

本質に踏み入った、大事なメッセージであったと考えます。

 

よくSNSや動画サイトでは、有料コンテンツの無断転載を注意する際に、お金を払った人の見る権利を主張されている方をお見かけしますが、

 

考えなければならないのは購入した側・見る側の権利ではなく、著作者側・パフォーマンスした側の権利なのです。

 

そこはテレビ等の誰でも気軽に見れるものだとしても同等です。有料・無料は関係ありません。

著作者や、パフォーマンスした人が必ず存在しますから。

 

ちょっと難しい、これらの権利についての内容は、私も含めて、これからもより深く学んでいけたらなと考えています。

 

まだよくわからないという方も、フォロワーさんが紹介してくださっていたLDHさんのルール説明 がとてもわかりやすかったので、ご覧になってみては◎

※しかしこちらはLDHさん“独自”のルール(雑誌の写真投稿など)もあるのであしからず

www.ldh.co.jp

 

 

 

では、この話題について少し視点を変えて。

 

なぜそれでも、画像や動画を載せてしまうファンがたくさんいるのでしょうか。

 

論文や調査結果などの根拠のあるデータをお載せしたりはできないのですが、あくまでも「個人的に」今の状況を考察してみようと思います。

 

もちろん中には、

「フォロワーさんが求めているから、需要があるから」

と違反行為を正当化させて、

結果著作者の価値や経済的利益を奪い、自分の承認欲求を満たす方もいます。

 

しかし、そうではない方もいると思うのです。

その人はもしかしたら、常識がないのではなく、そもそも私達と常識の種類が少し異なるのかもしれません。

 

例えば、

 

画像や動画を載せること = 応援

 

につながると純粋に信じている人達です。

 

特に年齢が若い方達は、嵐以外にも応援しているアーティストやグループがいるかと思います。

 

例えば、YouTuberさん。

私もYouTuberさん、見ます。

発信するアカウントをチェックすることもあります。

 

彼らは基本SNS上で活躍しているため、

 

話題になる、つまり「売れる」ためにはSNS上で自分の画像や映像が発信・拡散されることを望んでいる方が多いのです。

 

応援しているファンがYouTuberさんの写真をプロフィール画像に設定することを大いに歓迎したり、誕生日にファンがそのYouTuberさんの素材を使った自作動画を送ると本当に嬉しそうに感謝したりする方も見られます。

 

画像・映像を加工したものを発信したり、ハッシュタグを使って話題にすることが相手の応援になる。

それが普通であり、良い行為である。

そう捉えてしまう人がいるのも仕方がないと思います。

 

そういった方々が、同じような形で嵐のことも「応援」し、著作権について他のファンの方に注意されたとして、

 

「こんなに純粋に嵐が好きなのに、自分の利益にしたいわけじゃないのに」

 

と、はじめは理解ができない状態になってしまうのも、なんとなく想像できます。

 

しかしきっと、

嵐の「妨げ」になりたいわけではないと信じたい。 

 

ライブ映像の無断転載を注意している人のアカウントのプロフィール画像が、嵐の写真だったりするような方もきっとそうで。

 

その人達にとっては、写真で「応援」を表現することが普通だったのかもしれない。

 

そういった方々がきちんと権利について学び、気持ちよく嵐を応援してもらえるように見守るしかないのだと思います。

 

ファンの中で敵対視するのではなく。

理解できないと突き放したり、侮辱するのではなく。

 

それぞれの常識に囚われず、みんなで学んでいきたい。これに限ります。

 

少なくとも嵐本人、そして嵐が所属する事務所は、「本人が写っているコンテンツを無断で載せること自体よくない」と説明していますから。

ジャニーズ事務所に関しては、無断転載や二次創作がアーティストの皆さんの「妨げ」になってしまうのは事実です。

 

大好きな人を、みんなで、一番気持ちいい形で、応援できたらいいなと思います。

 

 

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☺︎

 

心から「おめでとう」と言えない自分を責める必要などない、と伝えたい。

ご無沙汰しております。

マンボウです。

 

まずはじめに、今回のブログは

 

・ニノのアンチさんへではなく、ニノのファンや嵐のファンの方に向けた言葉であること

・あくまで個人的な経験や意見について述べた文章であり、他の意見や感情を否定するつもりはないこと

 

を前提に書かせていただこうと思っています。

 

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前回ブログを書いてから、1年が経ちました。

 

今年は皆さんもご存知の通り、まさに気象現象の嵐のような1年で。

 

活動休止の発表直後は全く現実味がなく。

その後の溢れんばかりの嵐からの愛に、

喜びと、

幸せと、

じわじわ実感する寂しさを感じながら、毎日を生き抜いてきました。

 

命は有限です。時間も有限です。

おわりは必ず来ます。

 

それでも今の嵐は「おわり」ではなく、

「休むこと」を選んだ。

復活への希望を我々に、見せてくれた。

 

これからも応援する理由はそれで十分だと思いました。

2020年大晦日の自分は想像できないけれど、そこから嵐の新章がきっと始まるのだろうと考えていました。

その新章の過程で、

メンバーの結婚

もおそらくあるのだろうな、と。

 

しかしそんな考えは甘かった。

YouTube公式アカウント開設からの、怒涛の嵐。

まさか音楽配信だけでなく、SNS解禁まで。

潤くんや翔さんの予告していた新章、いや「まだ見ぬ世界」はもうすでに始まっていたのだ、と気付きます。

 

そして思っていたよりも早く、嵐の中でもちょっと意外だった、二宮くんが結婚を発表しました。

 

第一感想は、

「おおおお、、、、!」

「おめでとう!」

 

それだけ。

 

もちろん様々な感情あり。

 

色んな意見も情報も流れてきたけれど、それでも嬉しかった、なぜか。

なぜか、という表現に誤解を生むかもしれないけれど、自分でも「嬉しい」という感情に驚いたんです。

 

嵐の新章を現段階から期待する上で、「結婚した嵐の新たな魅力」というものを自分の中で事前に昇華できていたからなのかもしれません。無意識に。

 

もちろん、感じ方は、人によってそれぞれ違います。

それは皆さんも十分わかっていると思う。

その上で、「どうして私は嬉しいと思えないのだろう」と辛い思いをされている方が沢山いらっしゃると思います。

 

でも、12年ほどファンを続けてきた私が、この感情で今を受け入れられているのは、きっと「偶然」なのです。

 

ニノの歌声を通じて嵐に出会い、ニノが好きだから嵐が好きだった小学生の私だったなら、ショックで泣き喚いていたことでしょう。

 

散々な失恋をして別れた後、好きだった人のことが大大大嫌いになっていた高校生の私だったなら、同じようにニノのことも大嫌いになっていたでしょう。

 

2年後、5年後、10年後の未来にニノが結婚したとしても、今と同じ感情でいられたかはわからない。

受け入れられなくなっている可能性だってある。

 

でもね。過去の私が本当のファンじゃなかったのかって聞かれると、誰がなんと言おうと、「本当のファン」であったと叫びたいし、そう信じたいんです。

 

嵐を好きだという気持ち、誰よりもあなたを応援しているという気持ちに、偽りはなかったと思うから。

 

 

同じ一個人でも、年齢や積んできた経験、その時の状況、価値観で受け取り方は変化していく。

 

このことにまだ気づいていない人も沢山いるのではないか、と今回の件で思ったのです。

 

 

だから。

「今」、

 

受け入れることができずに悩んでいる、優しいあなた。

 

自分を絶対に責めないで。

 

嵐もお休みするんだもん。あなただって心落ち着くまで、お休みしたっていいじゃないか。

応援しなきゃ、という義務感で頑張らなくてもいいの。

 

他の応援できる人を見つけたっていい。

でも、ゆっくり休んで、やっぱり嵐が好きだなって思えたら、それも大大大正解じゃないか。

 

嵐はいつだって、受け入れてくれる。

 

 

そして、

 

 

その上で、もしできるのならば、

メンバーのことも、責めないでほしい。

受け入れなくてもいいから。

 

アイドルの専門家がなんと言おうが、記者がなんと言おうが、私個人は

ファンは「時間」をお金で買っている、けれどアイドルの「人生」までお金で買っている訳ではない、と考えています。

 

あくまで人生を決めるのは本人。

 

そしてメンバーの人生の決断は、嵐全員の人生の決断、つまり嵐全員がGOサインを出した決断であると言えます。

それは、活動休止発表の会見で、皆さんもよくわかっていることと思います。

 

 

アイドルが本来過ごすべきだった青春の時間、そしてファンである自分自身の時間を買って、私たちは夢を共有できています。

 

お金を払っているから、愛を伝え続けてきたから、優位な立場にあるのではありません。

お金はやはり「対価」であり、関係は対等です。

だから彼らが私たちの人生を決定する権利はないし、私たちも彼らの人生を決定する権利はないんです。

 

好きだけど、

彼らとの時間に払うお金と、自分が受け取る利益が同等に感じられなくなってしまった人。

どうしても、今は辛い人。

 

一旦。一旦です。

離れても、大丈夫。あなたは嵐ファンです。

同じファンとして、また戻ってきてくださるのを、いつまでも、待っています。

 

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結婚が発表された日、ニノ担の友人は、

 

「頭冷やしたいから明日は予定全部キャンセルして休むことにした」

「一回ニノのことも、全部忘れて、リセットしたい」

「でもまた戻ってくるね」

 

とラインをくれました。

私はすぐには何も返すことができず。

 

すると、全部忘れてリセットしたい、そう言ってたのに、しばらく経った後に

 

「じゃあ、行ってくる」

の一言。

すかさず私(マンボウ)、

 

マ「あっ、さよならじゃないよね?」 

 

友「また会えるから」

 

マ・友「「Yo! Yo! Yo!」」

 

 

同時に文字を打って、読んで、すぐ電話しました。

友人は泣きながら、笑っていました。

一緒に笑って、一緒に泣きました。

 

2、3日後、「やっぱりニノは、ニノだよ」と言ってのけた友人は今週末、大阪に会いに行ってくるみたい。

 

愛に包まれた、温かい時間になりますように。

 

 

 

 

 

 

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☺︎

 

 

 

 

「おみやげ関係」から見た嵐のカタチ。

 

こんにちは、お久しぶりです、

マンボウです。

 

気がつけば、夏が終わり、

まもなくツアーが始まろうとしています。

 

私生活が忙しくブログから離れていた

この3ヶ月間も変わらず、嵐を応援しておりました。

 

なんとか第3希望で当選をつかみ取り、

会いに行けることになりました。

ついに来週です。

 

5×20を同じ空間で味わえる幸せを噛み締めながら、

体調管理に気をつけていってきます。

 

 

さて今日は、Twitterで話題のこちらの記事について。

まだ読んだことない方は是非。

 

dot.asahi.com

 

本当の友達についてのお話。

 

小中高の12年。学校って本当に閉塞的で。

学生にとっては、学校という世界が全てという方も多いと思います。

 

相談している17歳の子の気持ちも痛いほどよくわかりますし、

いじめられているわけではないということは、

グループの他の4人も含めお互いに、

「気が合うわけではないのに一緒にいる状況」

に対してモヤモヤしたまま過ごしているのだろうなと思います。

 

そんな悩みに対して鴻上さんの回答が本当に素敵で。

 

少し厳しい言葉にも取れるかもしれないけれど、

相談者に寄り添ったあたたかい言葉は、

大人子供関係なく多くの人に響くと思います。

 

 

鴻上さんの回答の中には、

 

 “人間関係は「おみやげ」を渡し合う関係が理想”

 

という言葉がありました。

 

ここでいうおみやげは、

物だけではなく、

気遣う言葉や楽しい話なども含む、

お互いにとってプラスになるものという意味だそうです。

 

 そして鴻上さんのこの言葉。

 

“相手にとって何が「おみやげ」になるかを考えることは、つまり、相手を理解しようとすることです。”

 

“そんな素敵な人は、みんなが友達になりたいと思う人なのです。”

 

まさに嵐の5人が、

鴻上さんのいう「素敵な人」なんじゃないかって。

 

マンボウ思うわけです。

 

こんな「素敵な人」が5人も集まったグループ。

そしてそのグループが20周年目を迎えている事実。

 

奇跡のような話です。

 

素敵な人とか奇跡のようとか、字面だけ見るとお花畑ファンに見えるかもしれませんが(笑)、

 

でもきっと奇跡なんかじゃなくて。

 

20年の中で形成された、積み上げてきた形が、

「おみやげ関係」とも言える嵐の5人なのだと思います。

 

元々人間性は素晴らしくても、

 

性格とか言動とか雰囲気って、

周りの人や自分が所属する場所、

環境にすごく影響されると思うんです。

 

不満ばかり言う人、自分のことばかり言う人達に合わせていたら、気づかないうちに自分も愚痴ばかり言う人になってしまっていたり。

 

誰かを排除しようとするような人間関係の中にいたら、排除される1人にならないように、他の人を蹴落として多数派にいようとしたり。

 

まさに小中高のグループでよくあることですよね。

 

 

気があう人とつるむ、つまりグループとなり一緒に過ごすのが

一般的な人間関係ですが、

 

嵐の5人は強制的にグループが結成されました。

初めはそれぞれ仲の良さもバラバラで。人数は奇数。

 

いかにも分裂しやすい状況の中、

常に離れず、変わらず、5人で歩んできた嵐。

 

 努力してお互いに心地よい距離感を見つけ、

相手の性格を受け入れ、尊重しあい、

意識的に「おみやげ」を渡し合う関係を作ってきたからだと思います。

 

 

そういった姿勢が嵐の中だけでなく、

周りの人、そしてファンに対しても分け隔てなく

どんな時でも見られるからこそ、

今や“スーパーアイドル”と呼ばれるほど人気のグループになったんだろうな。

 

 

自分がこんなにも嵐を好きなのは、

かっこよさや楽曲の良さだけでなく、

本気で、

人として尊敬できるからです。

 

嵐を見てきたからこそ、

自分も人間的に成長できたと思うし、

周りを理解しようと努力するようになったし、

一生の友達を見つけることができたと思っています。

 

 

そんな5人が歩んできた日々を

幸せだったと振り返れるような20周年にしてほしい。

 

心から思います。

 

 

 

ライブで感謝を伝えられたらいいな。

 

いや贅沢言わない。

感謝をこめて、一瞬一瞬を目に焼き付けよう。

 

 

 

今から泣きそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

ではまた。

 

 

 

☺︎

 

 

 

 

 

 

マンボウ、嵐会議に参加。

こんにちは。マンボウです。

 

台風で家から出られず、

今日は一日たまった家事などをしていました。

私が住んでいる地域では避難準備・避難勧告の指示がちらほら…

皆さんも気をつけてくださいね。

被災地の二次被害などもすごくすごく心配です。

 

 

さて、今週は嵐が盛りだくさんの1週間でしたね。

夏疾風の発売、嵐会議のお知らせ、VS嵐スペシャルなどなど。

夜のしやがれも楽しみです☺︎

 

 

今日は嵐会議について。もう参加済みのため曲は決定しておりますが、何を選んだか詳しくは内緒にさせてくださいね◎

 

はじまりは火曜の突然のお知らせ。

そして迫る締め切り。

 

その驚きと盛り上がりはVS嵐の収録時にも感じられたようで。

番協の参加者がざわつく中、一緒になって5人で会議をはじめる様子をツイートしてくれた番組ディレクターの菅さんに感謝です。

 

 

アラフェスの時とはまた違う”会議への参加”という嵐のファンへのアプローチの仕方に感動しながら。

 

こういった企画によって、デビューしてから今までの嵐の曲をファンがじっくり振り返る機会を作ってくれるところも、さすがですよね。

 

今回の会議の議題が「好きな曲」なので、「お気に入りの曲」を選ぶべきか、「ライブで歌ってほしい曲」を選ぶべきか、正直すごく悩みました。

 

しかもシングル10曲とその他5曲なんて少なすぎて…!

本当に大変でした。

 

私のお気に入りは少しせつない、落ち着いた曲調の楽曲が多くて。

旅立ちの朝、シリウス、声、パレットなどなど。

よく休日の夕方に1人で聞いてました。

BlueやBe with youは油断してるとなぜか泣いてしまいそうになるので、元気な時に聞いてました(本当に大好きな曲であるが故にです)。(笑)

 

 

これらの曲を今の嵐でもう一度歌ってほしいという思いも、もちろんあります。

 

でも、逆に、歌うことによってその曲についての感情が新たなものに上書きされてしまうのが少し寂しいって思ってしまう自分もいるんですよね。

 

嵐を好きになった当時は二宮さんのファンだった私は、こういった切ない曲を歌うニノさんの表情が本当に大好きでした。

 

Blueやシリウスを歌う時、時折目をつむりながらファンに微笑みかけて歌う姿を見ながら、どんな感情でこの歌を歌ってるんだろう…っていつも考えてました。

 

ちょっと前の5人のトークで、

 

曲の印象や思い出が嵐はライブごとにどんどん更新される、

逆に歌った回数が少ない方が記憶が鮮明だったりする、

 

という風に話していたこともあったので。

 

個人的には、当時の思い出やその曲を歌っている時の気持ちが、嵐にずっと寄り添ったままでもいいけどな〜、と考えたりもして。

 

うーん、うまく表現できてないけど!(笑)

 

 

でもきっと、アニバーサリーツアーで昔の印象的な曲を歌うことで、当時を思い出すきっかけにもなるんだろうな。

 

結果、何を聞けても感動しちゃうだろうし、嬉しいだろうし、涙を流しちゃうだろう。

 

 

若い頃の背伸びして歌ってたイケイケな楽曲を、大人の今の嵐が歌ったら、っていうファンの皆さんの意見にはすごく共感しています。

 

みなさんがJAMやWalking in the rainを挙げているところなど、本当に流石だなあと。☺︎

 

 

こうやって、悩んで、昔の嵐や、自分自身の思い出を振り返って、っていう時間も本当に幸せ。

ツアー当たればいいなあ、、、。

 

 

こういう企画について考える時、どうしても

昔の曲に注目しちゃいがちなんですけど、

 

最近の曲だってすごく進化してるし、本当に素敵なものばかりですよね。

今回の「夏疾風」の楽曲や、そのカップリング曲然り。

 

ここ何年かで嵐の最近の楽曲に対して自分の感じるところがまた変化してきているので、その話についてもまた今度触れられたらな、と思います。

 

 

 

 

 

ではでは、

 

 

☺︎

 

 

 

 

 

 

 

被災地訪問と嵐の姿勢。

こんにちは、マンボウです。

毎日暑いですが、皆さん体調は大丈夫でしょうか。

無理はせず水分補給等しっかりして暑さを乗り切りましょうね。

 

先日潤くんが、広島と愛媛に訪問して義援金とワクワク学校のグッズを寄付していたニュースが様々なところで話題になっていました。

 

暑さや避難所での生活を心配する姿、現場での対応に追われている方の体調を気にする姿、子供たちと笑顔で同じ目線で触れ合う姿。

 

お金や物以上に、被災地に対する真摯の姿に本当に感動しました。

 

もちろん訪問を公にすることに対する非難、グッズを支援物資にすることへの否定的な意見、嵐5人ではなく代表して潤くん1人が訪問したことに対する疑問。

そういったものは嵐サイドとしては想定内であったかと思われます。

 

しかしやはり、そういった批判を恐れることよりも、被災地の方に1番いい形で寄り添うことを選択した嵐さん。

 

Twitterでも話しましたが、私は東日本大震災があった年に、嵐からワクワク学校のグッズをもらいました。

 

あの時の思いは今でも忘れることがありません。

自分たちのことを見てくれているんだ、忘れていないんだ、

そう思えるだけで、先が見えない不安やふるさとが変わり果てたことへの悲しさが和らいだ気がしました。

 

嵐さんの被災地に寄り添う思いは、東日本大震災の年よりもずっと前から継続して形にされてきたと言われています。

Timeのツアーでは新潟での公演の時、その年の中越沖地震で被災された方へのメッセージや写真が展示されていたり。

 

きっと確実な情報として表に出ている支援なんてほんの少ししかなくて、嵐としての、そして一人一人の個人的な支援は想像できないほどされてきたのかなあと。

 

 

 

うまく表せないけど、

嵐って、普段ファンに対する束縛的表現や愛情表現的な言葉を発することが、他のアイドルグループに比べてすごく少ないと思うんです。

 

もちろん十分すぎるくらいの感謝の気持ちや、

これからも一緒に歩んでいこうね、みたいな

思いはライブなどでも話してくれるし、姿から感じ取れるから

ファンでよかったといつも思わせてくれるけれど。

 

「俺らから離れないでね」みたいな強制的な言葉は発しないし、

ファンの名称を昔から嵐自身が設定したり、多用したりすることもない。

(ARASHIANSは例外として)

 

嵐5人の関係性の強さ、絆の深さは確立しているけど、

嵐とファンの関係は内輪的ではないというか。

 

もちろんこの人気の規模からしてファンでいることを強制する必要も無くなったし、そういうのとは全く別に

5人の性格からしてそういう言葉を発さない傾向にあるのかもしれないし、

理由は様々あると思うけど。

 

一時期、ファンっていうより私たちは顧客で、その管理がしっかりしているのかなっていうイメージができてしまって少し寂しかったんですよね。

 

でも今回の被災地訪問の件で、やっぱりその感情は完全に間違っていたんだなと気づいたんです。

 

ファンとの関係が内輪的ではないのは、すべての人に対して「平等」に寄り添えるからだと。

 

ファンだけではなく、すべての人に対して、少しでも嵐として元気を与えることができたら、という姿勢。

グッズを届けてくれたあの時も、ファンクラブに入ってる子どもが対象なのではなく、沿岸の学校の生徒全てに対してグッズを届けてくれた。

 

今回の訪問での被災者との交流や写真撮影などを通して、より強く感じました。実際多くの人に元気を与えられているし、みんなを笑顔にしていますよね。

 

ファンに対しても平等で。

ライブに来れなかった人のことも気遣ってくれるし、会場では一番後ろの席の人にも寄り添い、パフォーマンスや演出を考えてくれる。

宮城のライブでは、もう一生ライブに来ることができなくなってしまったファンのことを思い、涙してくれる。

 

そんな平等さ、謙虚さ、あたたかさ含めて

「国民」的アイドルなんだな、と。

 

私は思うんです。

きっと国民的アイドルたる性質はきっと

こんなに人気になる前からずっとあったはず。

 

 

個々の人間性も本当に素晴らしい。でも

きっと5人集まるからこそ、お互いの気遣いや優しさが

影響しあって大きな行動を起こせているのかな、とも思います。

 

私にできることは、少しながら募金をし、

嵐のグッズを購入し、応援していくこと。

災害救援ボランティアへの参加も考えています。

 

7年前自分が嵐から、そして沢山の方から支えてもらったように

今度は自分が少しでも恩返しできたらな、

 

そんな風に思っています。

 

 

 

 

 

☺︎